聖堂内部の作りの特徴はなんと言っても、ローマ教皇ベネディクト15世
より寄贈された、祭壇・副祭壇・十字架の道行きとそれに調和するように作
られた内部の作りである。
約百年前に作られた物であるが、当時のこの規模の教会における最高の
彫刻・装飾類と言って過言ではなかろう。日本では勿論唯一の物である。

   (以下で内部の作りを概観するが、祭壇聖像や十字架の道行きについては別ページで詳しく解説する)




 

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    天井が青く塗ってあって星が貼ってあるが、もともとは真っ白であった。
グロード神父が1968年頃、彼の思いつきで青く塗ってしまった。しかもそれだけではなく、壁は全て橙色になってしまった。(一部天井に塗ってある部分が見られます。) 信者達はたいそう驚いたが後の祭り。グロード神父はその人柄と、壮大な野外劇や当時日本一と言われた老人保健施設を建設し成功させるなどの実行力とで慕われたが、美的センスは日本人とは少々かけ離れていた。
下が橙色の壁の様子であるが、司祭館のあちこちをひっくり返しようやく見つけた。
人間の記憶とはあいまいなもので、年配者に「壁が橙色だった時の写真ありますか?」「えっ、そんな事あった?」が殆どだった。



 



 ウインダル神父が主任司祭になった時、どこかからの寄付を利用して白く塗り直した。同じフランス人なのに、ウインダル神父は橙色が許せなかったようだ。勿論信者達も喜んだ。確かに、プロヴァンス地方などでは橙色の家並みが見られ、それはそれで南国風で楽しいのだが、聖堂の内部が橙色というのはとても落ち着かないものだった。(函館の方言では「あずましくない」と表現する)

ウインダル神父は天井も白くしたかったようであるが、あまりにもお金がかかるので断念したそう。
信者の意見では、天井の青と星は綺麗でいいと言う人もいるが、白が良いと言う人もおり、意見は分かれている。数年前に五嶋みどりさんがこの聖堂でコンサートをした時には、筆者に「天井がとても素敵」と言って下さった。お世辞には聞こえなかったので、彼女の好みには合っているようだ。

 素朴でかわいらしいステンドグラスが見えるが、これは実は大火で焼けた先代の聖堂のものを利用している。
大火で柱も天井も焼け落ちたが、煉瓦造りだった壁と、ステンドグラスだけは残った。(写真参照







  

     祭壇に向かって左側の副祭壇


  

     祭壇に向かって右側の副祭壇




 上の写真2枚は左右の小さな副祭壇である。
現在は、左副祭壇にはイエス像がのっており、右副祭壇にはマリア像がのっているが、かつては逆だ
った。設立当初からのマリア像は地震で破壊され、新たに入手したものとなっており、そのため、他の
像の制作スタイルとは異なっている。
このイエズスの像については「聖堂の美術作品達」で詳しく述べる。



  



  

 壁にぐるりと取り付けてある壁像は十字架の道行きと呼ばれるものである。
 これについての詳しい説明は「十字架の道行きの説明」で述べてある。





                  


  祭壇から後方を見上げたところだ。白く光っているところは窓であるが、波板ガラスであり、
ステンドグラスではない。
その下に見えるのは楽廊と呼ばれており、ここでオルガン演奏や聖歌隊の合唱が行われる。
建設当初はこの楽廊は無かったが、1950年 島田神父の時に設置された。(詳しいいきさ
つは「教会の歴史」や「聖堂内部の変遷」を参照の事。)
信者も増えた上に、戦後すぐで進駐軍(アメリカ人)も来ていたので、手狭になったからだが、
元来の設計には無い物だったので、かなり無理な設置だった。急な怖い階段を登らねばなら
ず、信者が減った今ではこの楽廊はあまり使われていない。
かつての聖歌隊は、楽廊下に設置されていた2メートル弱の高さの台の上で歌っていた。
  (写真参照


                       
               


               







         


 上の写真は告解部屋と呼ばれているものである。格子戸を開けて中に司祭が座り、罪を告白する信者
は、手前の座布団が敷いてある所に跪く。丁度反対側も同じような作りとなっており、次に告白する信者
が跪いて待っている。信者と神父との間には格子窓がありそこには更に小さな戸が設置されていて、告白
内容が反対側で待っている信者に聞こえないように神父によって開け閉めされる。
この告解部屋は、当教会の場合、左右の副祭壇の前に設置されていて計二つある。
現在、この様な告解部屋は新しい教会では設置されず広い聖堂の片隅でひそひそと行われているが、
昔は告解(罪を神父に告白する事)の時は何十人もが列を成し、神父は小さな戸を開け閉めして信者へ
の対応に忙しそうであった。
筆者は思春期頃、告解をする信者が沢山いる頃を狙って行ったものだ。沢山だと神父に罪の内容を根掘
り葉掘り聞かれなくて済むからだった。昔は毎週していたものだが、最近は年に数回という信者が多いの
ではないだろうか。
小さな罪は告解しなくても各自で許しを求める祈りをして下さいとの教会からの連絡もあるので、もう
何年もやったことが無いと公言する信者もいたりする。確かに、「衣食足りて礼節をしる」の諺通り、
昔より罪を犯す機会が減ったのかもしれない。
 この告解部屋での怖いシーンが、映画「ゴッドファーザー」などでも登場するので関心があるという
観光客も多い。
 他の設備や彫刻が華麗なのに比較して、これはたいした飾りも無く質素である。それは、元来無ければ
無いに超した事はない設備だからであろう。罪は決して称えられないのだから飾ってはいけないのだ。




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  上の写真2枚は神父が儀式を執り行う机である。儀式は1960年代頃までは正面の沢山の彫刻で飾ら
れた衝立と合体した台上で行われていたが、第二回のバチカン公会議の決定から信者の方を向いた机
上で行われる事となった。丁度対面キッチンのようなスタイルで儀式を行うと言うわけだ。
 ご覧になって分かると思うがこの机最近の製作の割には作りが立派である。彫刻はもとより、アーチ
の柱状の飾りも細かな細工が見事である。実はこれらは100年近く前にイタリアで作られた物を用いて
いるのだ。詳しくは「聖堂の変遷」「聖堂の美術作品」でも述べているが、昔、祭儀中の神父や侍者
のみが入る事を許された領域のすぐ外側に聖体拝領壇というものが設置されており、そこにこの机の製作
に使われた素材があったのだ。聖体拝領壇も同時に撤去される事となったので新設の机に再利用したと
いうわけだ。フランス人の神父達は教皇からのプレゼントを大事に大事に守ってきたのだ。

 以下に述べる細かな設備類は、昔在った説教台を再利用して作られているが、教皇からのプレゼント
はほんの小さな装飾に至るまで美術品の塊であった。




               

               司会者のマイク台





               

              朗読や司祭の説教台





  


  かつての説教台の一部        奥にある石造りの容器は洗礼に用いる聖水盤


     


                         







           


                                               








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