キリストが捕らえられてから磔となり、埋葬されるまでを、14の象徴的な場面で表したもの。
信者は第1から第14迄の前で順に佇み、キリストの痛みやしみを思い遣り祈る。
この事からこれらを、第1留、第2留、・・・・第14留と呼ぶ。
これらも、時のローマ法王ベネディクト15世より寄贈されたものであるが、像や飾りは全て木彫りとなっており、手の込んだものである。

 現代の教会ではこのような重厚でリアルな道行きは見られず、簡単に象徴的な表現ですませているものが殆どである。日本では唯一のものと思われる。

 左に第1留全体を載せたが、聖堂を模した額状となっている。


 当教会の「十字架の道行き」の写真は以前から沢山の方々に要望されていたが、今回ようやくこのHPで期待にお応えする事が出来た。これだけ詳細な写真・解説はWebでも出回っていない。
宗教美術に関心がある美術家・研究者にとって幾ばくかの
参考になれば幸いである。

   
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函館のカトリック 改定  元町画廊提供

  十字架の道行きの説明




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第1留

 イエス、死刑の宣告を受ける


 左奥に居るのがローマ総督ピラトである。
彼はイエスを釈放しようとするが、長老にそ
そのかされた群衆は「イエスを十字架につ
けよ」と叫ぶ。ピラトはあきらめ、この者の
血は私には関係ないと、水で手を清めてい
るところだ。こんな小さな空間に無理をして
でも、是非この手を洗う場面を挿入したか
 ったのは何故だろう。           
                         
 イエスは鞭打たれ、棘の冠、赤いマントを
着せられユダヤ人達に引き渡された。 
裁きが総督の館にふさわしい立派な建物
で行われた事を背景の書き割りが示して
いる。                    
第2留

 イエス、十字架を担わされる


 将来を予見していたイエスはずっと以
前から、この日自分に降りかかる出来事
を思い、苦しみ抜いておられた。      「父よ、みこころならばこの杯を私から取りのけてください。しかし私の願いではなく、みこ
ころのとおりに・・」               だから十字架が運ばれてきた時にはイエスはやっとその時が来たと思ったろう。自分からすすんで十字架を抱こうとするその体と手の表情に注目して欲しい。今までの苦しみの全てがここに収斂している。イエスの痛みが最も伝わってくる作品。     
第3留

 イエス、十字架の下に初めて倒れる


 昨夜からのむごい仕打ちで痛めつけら
れたイエスには、重い十字架を担ぐ力は
残っていない。倒れたイエスを起こそうと
ユダヤ人達は罵倒しながらも悪戦苦闘し
ている。背後を通過していくのはローマ兵
である。こんな凄惨な状況なのに、彼等
は気にする様子も無く一瞥もせず通り過
ぎて行く。彼等にとってはユダヤ人達がこ
れ以上のごたごたを起こす方が心配なの
だろう。この無関心のローマ兵を登場させ
ることによって、この作品は当時の政治
状況を雄弁に物語っている。しかし、わざ
わざこの狭い空間にローマ兵を登場させ
る意図は別なところにあると考える人もいる。 
第4留
   
 イエス、悲しみの聖母に出会う


 人々にあざけられ、憎まれている。そ
んな状況であっても、母親の愛情は強
く、人々をかき分けてイエスに近づいた
のだろう。自分に罪は無いとはいえ、こ
の姿を母親にみせる事は子供として本
当につらいことだ。イエスの切ない表情
に注目して欲しい。ユダヤ人はそんなイ
エスに早く行けと鞭をふるう。      
訳が分かりもしないのに犬も吠えたてて
いる。この犬は扇動に乗りやすい無知
な群衆を象徴しているように見えてくる。
第5留

 キレネ人シモンがイエスの十字架を強いて
背負わされる 
           


 イエスの体力がもう限界とみたユダヤ人
兵士はそこに居合わせたキレネ人のシモ
ンに手伝うように命じた。  おびただしい
人の群れと、イエスのために嘆き悲しむ婦
人達が後に付いていった,と聖書では述べ
ている。大半の男の弟子は逃げ去ってしま
ったのに女性の方が信仰心と勇気点で優
れていた。このシモンは後に教会の一員と
 なった。
第6留

 ヴェロニカ、イエスのみ顔を拭う  


 血と汗にまみれたイエスの顔は苦痛に
ゆがんでいる。そこにベロニカと言う女性
が進み出て布を差し出した。イエスはそ
れで顔を拭い返した。立ち止まっている
イエスをユダヤの兵が追い立てている。
        

(その時に布にイエスの顔の形が写され
たとされ、後世その布であるとされたもの
が聖遺物として少なからず出回った。こ
のため布にイエスの顔が写っているよう
に描かれている)         
第7留

 イエス、再び十字架の下に倒れる


 イエスを追い立てる群衆の興奮はます
ます高まる。その群衆の愚かさはイエス
を大きく傷つける。肉体の疲労だけでは
なく精神的な苦痛がこの場面を生んだと
も言える。大祭司と思われる人物が持っ
ている羊皮紙は十字架上部に貼る罪状
札で「この者はユダヤ人の王イエスなり」
と書いてある。 
第8留

 イエス、嘆き悲しむ女性たちを慰める


 ののしり続ける群衆に混じって、嘆き
悲しみながらイエスの後を追う婦人達が
いた。イエスは婦人達に向かって話しか
ける。「私のために泣くな。むしろ、自分
と自分の子供達のために泣け」    

(イエスを十字架につけた事から、その
後長い間ユダヤ人は迫害を受けること
となった。公にそれが間違いとされたの
は1965年、第2バチカン公会議におい
てである。2011年にはベネディクト16
世が著書「ナザレのイエス」の中で明確に
否定している。) 
第9留

 イエス、三度十字架の下に倒れる


 今までの一連の背後の書き割りは、イエ
スが町中から次第に郊外へと進んでいくこ
とを表しているが、処刑されるゴルゴタの丘
はもう目前である。イエスには最後の一歩
を登り切る力もなく、またまた倒れてしまう。
第10留

 イエス、衣服をはがされる  


 刑場に着くと、兵士達は血に染まったイ
エスの衣を乱暴にはぎ取った。当時布は
貴重だったので、それを自分たちで分け
始めた。上着は4つに分けて一つずつ取
り、下着は一枚布で縫い目がなかったの
で裂かずにくじ引きをした。下で兵士が
用意している液体は、胆汁を混ぜた酒で
ある。一種の麻酔のような働きをすると
いい、磔の刑を受ける者の苦痛を和らげ
るためである。しかし、イエスはそれを舐
めただけで飲もうとしなかった。 
第11留

 イエス、十字架につけられる


 イエスは十字架に釘付けにされようとし
ている。この刑の残酷なところはすぐに死
なせないところである。十字架が立てられ
ると、重みで次第に体は下がる、そうする
と両腕で肺が圧迫されて苦しくなり、また
体を上にずり上げる、息絶えるまでこれを
繰り返すのだ。(だから、実際には足が裂
けてしまわぬように足を載せる台があっ
た。)                
第12留

 イエス、十字架上で息をひきとる


イエスの頭上にあるのは「ユダヤ人の
王」と書いた札である。イエスを馬鹿にし
ているのだ。マルコの福音書によるとイ
エスは午前9時に十字架につけられ、午
後3時に大声で「我が神我が神、何故私
をお見捨てになったのですか」と叫び息
を引き取られた。左の兜をかぶった者
はローマ兵の百人隊長だが、「誠にこの
人は神の子だった」と言っている。ヨハ
ネ福音書によると、胸の傷口は殺すた
めではなく死を確認するためであった。
第13留

 イエス、十字架より下ろされる


 夕方に、アリマタヤ出身のヨセフがイエス
の遺体を撮り下ろしたいとピラトに願い出
た。ピラトは、もう死んだのかと不思議に思
ったが、百人隊長に死を確認して許可し
た。翌日は安息日で遺体を十字架上に残
しておく事は出来なかったからだ。右の人
物は没薬らしき物を持っているのでニコデ
モであろうか。
第14留

 イエス、埋葬される   


 イエスの体は香料を塗られ墓に葬られ
た。マタイ福音書によると、ファリサイの
人々は、イエスが3日後に復活すると言
っていたのを思い出し、ピラトに3日目ま
で墓を見張るよう願い出たが、自分たち
で番兵を立てるように言われ、そうする
事にした。    


天使は婦人たちに言った。       
        
「恐れることはない。十字架につけられた
 イエスを捜しているのだろうが、あの方は
ここにはおられない。 かねて言われていた
とおり、復活なさったのだ。         
さあ、遺体の置いてあった場所をみなさい。
それから、急いで行って弟子たちにこう告げ
なさい。                   
               
『あの方は死者の中から復活された。
そして、あなたがたより先にガリラヤに
行かれる。そこでお目にかかれる。』 
確かに、あなたがたに伝えました。」  

          マタイ 28章5-7節
第15留

 イエスは復活される   


 従来は第14留で終わるのだが、最近で
は「復活」まで在って初めてキリスト教が
成立するという観点からか、第15留も登
場してきた。かの有名な聖地ルルドの等
身大の十字架の道行きも第15留を設定
している。人物像は無く、確か大きな丸い
石が置いてあった。         


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